2016年9月22日木曜日
忘れ物
雨の中、フィルターを使ってやってみたいことがあって、若洲海浜公園か、三浦半島の城ヶ島か、江ノ島海岸に行こうと思っていた。雨用のジャケットを着て、バッグにはレインカバーを装着して、準備万端。
最終的に、行き先は江ノ島海岸に決めた。
雨の中、第三京浜を走っているときにふと気がついた。
おっと。
あらまあ。
そりゃないわ。
フィルターを持ってくるのを忘れた。
フィルター使って撮影しようと思っていて、フィルターを忘れるとは何事だ。やりたいテーマを見つけて最初の一歩でくじかれた。
家に帰ろうかと思ったけれど、もう横浜じゃないか。
一度家に買えるのもめんどくさい。
横浜で昼飯でも食べるか。
いつもならかなりふてくされるところだけれど、今回、気持ちの切り替えは早かった。
元町でランチを取り、そのまま象の鼻公園に向かい、大好きな象の鼻ソフトクリームを食べた。
その後は、中華街に向かい、ふと、ばあちゃんを思い出して、いつもの店で月餅を買った。
月餅。
横浜に来ると、ばあちゃんに必ず買って帰っていた。
今日は2つ買った。1つは食べて、1つはばあちゃんの仏前に置いた。
最初の目的とぜんぜん違う一日になったけれど、まったくカメラを持って歩かない散歩になったけれど(久しぶりのことだ)、満足したから、まあ、いいか。
写真は中華街の「鳥獣」。ウルトラマンにはまっていた小学生の僕が、「鳥獣だ!」と絶叫して周囲に失笑を買った店(だと思う)。
2016年8月13日土曜日
記憶。
4年前の今日、僕がまったく記憶にないものを食べたとグーグル・フォトが教えてくれた。スマホで撮ったらしく位置情報が残っていたので調べてみたら、どうやら麻布十番の近くらしい。
昼の12時ごろにその場所で、何か得体のわからないものを僕は食べ、さらに午後には西府中にいたという(後者は息子の管弦楽部の発表会だった)。
SNSに写真をアップしてそのようなことをつぶやいてみたら、すぐに友人がその場所を探し当ててくれた――その店は麻布十番の「松玄」という店に違いない。
そこのカレーうどんに違いない。
いや、俺、カレーうどんは好きじゃないから食べない。
そう断言したものの、どうしても確かめてみたくて、今日、その「松玄」という店に行ってきた。
現地に近づいてみたら、みるみる記憶がよみがえった。
休日ではなく平日で、仕事の打ち合わせのあとにそこに寄ったこと。誰と一緒で、どんな天気で、そしてほかにどんな客がいたか(木梨憲武さんがいた)。
全部思い出した。
そして僕が食べたのは、カレーうどんだった。残念!
でも、当時注文したものとはちょっと違った。ほら。
チーズが乗っているように見えるのは、気のせいか。
とはいえ、謎が解けてうれしかった。
ひと安心したのもつかの間、新たな疑問が湧いてきた。
脳の仕組みってどうなっているんだろう。
記憶は消去されたわけではなく、4年前の記憶はちゃんと残っていた。上書きされず、人知れず(というが僕が知らないだけで)脳の片隅に残っていた。
記憶が消えることがないとしたら、僕の脳みそにはどんな記憶が、すべてから切り離された状態で残っているんだろう。それを再生する装置がほしい。
記憶が上書きされるとしたら、どんなときに上書きされるのだろうか。同じか似た行為を繰り返したときか。
似た記憶は、脳の近い場所に自然とソートされるのだろうか。あとで取り出しやすいように。近い場所にソートされると、次第にそれがごちゃまぜになることはないのだろうか。
人の記憶は一体、いつぐらいまで残っていてるのだろうか。どの位の時間がたったらぼやけてなくなっていくのだろうか。
スイッチを入れたら、僕は赤ちゃんのころの記憶もひょっとしたら再生できるんだろうか。
自分の脳みそ再生装置がほしい。グーグルさん、頼んだ!
2016年8月9日火曜日
ココ。
ココ……ときたらシャネル、じゃない。
ココ……ときたらココナッツ。そう、僕はココナッツ石けんが好きなのだ。
大昔にタヒチに行った。ボラボラ島の美しい海や白い砂。遠い昔の記憶。豪華な宿に泊まったから、1週間で1人50万円。当時は飛行機代も高かった。
キャノンのフィルムカメラを担ぎ、慣れないカラーフィルターの実験をしたりしながら、自分が泊まった水上コテージを夕方に撮った。その写真はしばらく居間に大事に飾ってあったっけ。
そんな記憶を忘れずにとどめていられるのは、タヒチで毎日使っていたココナッツ石けんのおかげだ。今でもその香りをかぐと、南国のそよ風がよみがえる。
お土産と称して現地で自分向けに石けんを買い占め、スーツケースの隙間に詰められるだけ詰めて帰ってきた。
その石けんを使い切った後はインターネットの片隅、アメリカの田舎の雑貨屋が同じ石けんを扱っていることを発見し、どうしてもほしいから日本まで送ってくれと頼んだ。タヒチ発、アメリカ経由日本着。かなり豪華な石けんになったが、背に腹は替えられない。
しばらくはその、タヒチ発、アメリカ経由日本着のココナッツ石けんを使っていたが、一度切らしてから、しばらく使わなくなっていた。タヒチに直接注文できたらいいのにさ。
ところで、そのアメリカの雑貨屋さんは、石けんを3箱(1箱に3つ入り)注文すると、1つおまけでタヒチの石けんをくれた。
その石けんがこの前どこかから出てきて、久々にココナツ石けんを使いたいと思った。
探したけれど、同じブランドはなかなかない。あのアメリカの雑貨屋の所在もわからない。
いろいろ考えた末、アマゾンで見つけた、アメリカの雑貨屋さんがおまけでくれていたブランドのココナッツの香りを買ってみた。
こちらのブランドもココナッツの香りはしっかりするが、香りの種類が若干異なる。こちらの方がやや甘ったるい。でも、あの南国の記憶を思い起こすには十分。
まだ暑い日が続きそうだから、ココナッツの香りで、記憶の中の南国の青い海、白い砂を楽しみたいと思う。
2016年8月8日月曜日
考えてもみなかった。
まさか市ヶ谷から夕空を眺めることになるとは。考えてもみなかった。
いつまで続けられるは神のみぞ知る。
ところで今日の夕焼けを撮ったら、コンデジもしくはスマホで撮ったみたいな階調表現になった。一応、APS-Cセンサーを積んだCoolpix Aなんだけどな。困ったな。
縦にパノラマスティッチをやったからか。手振れを気にして感度をちょっと上げたからか。それでもISO400だけどなぁ。開放の解像がイマイチなのは前から知っているけどね。
今度はもうちょっと落ち着いて撮ろう。
2016年8月6日土曜日
几帳面。
道端に古新聞の束が置いてあった。紙袋に、これ以上詰めるのは無理というくらい、きれいにきっちりと入った新聞の束だった。
ある意味、アートだね。
持ち主は、紙袋にきっちりと詰まった分だけを回収に出したのか。部屋にはまだ、回収に出せない古新聞を詰めかけた紙袋が残っているのか。
律儀だな。
ついつい、じっくりと観察してしまった。
でも、回収に間に合わなかったのか、そもそも今日は古新聞の回収の日ではないのか。
午後遅い時間になのに、道端にたたずむ古新聞たち。
なんだ几帳面ではないのか、元の持ち主は。
残念。
2016年7月29日金曜日
違和感。
勉強のために中国から日本に来ている友人に会った。日本にきてまだ2週間もたっていないから、新しいことだらけで毎日楽しいんだろうな。
その友人から、おみやげをもらった。中国の古い映画などではおなじみの屏風――そのミニチュアだ。中華街でもよく見かけるかな。
そのおみやげを、新しいオフィスの机に飾ることにした。
引っ越す際に強烈な断捨離をして、机の上を整理した。シンプル・モノトーンになった(味気ないとも言う)。そこに置いて、アクセントにしようと。
ほら、素敵でしょ。
さすがに、机の真ん中に置いたら仕事にならないから、モニターの横に置いて、PC類の配線を隠してもらうことにした。
でも、そこにははからずも先客がいるのだった。
コンビニで買ったメッツに付いてきた、「エヴァンゲリオン」のキャラクターらしい。「らしい」というのは、僕はこのアニメーションを見たこともなければ、ストーリーも知らないからだ。
それはともかく、仕方がないから屏風にはこの先客と同居してもらうことにした。
い、意外にも馴染んだ……。
2016年7月25日月曜日
かほり。
残念ながら、バラの香りに関する話ではない。
人の臭いについてである。
僕は男女の関係で「ビビビッ」と来るのは、相手の臭いが大きく関係していると信じている。これまで好きなった人、お付き合いをさせていただいた人は、たいてい僕が好きな臭いをしている。念のために言っておくが、それは香水とかシャンプーの香りではなく、その人本来の香りである。
バラのような鮮やかな香りを出す人はいないが、好きな人は皆、一緒にいるとホッとする香りで包んでくれる。
そして、その逆もまた真なりである。
一般的に臭い(くさい)という範疇には入らない(はずだ)が、当たり前ながら「ビビビッ」の正反対の臭い(におい)を出す人がいる。ぜったいにお付き合いして子孫など残してはいけないタイプだ。
娘がパパの臭いをある段階から大嫌いになるのと同じで、遺伝子的に恐らく僕に近いのだろう。そういう人が近くにいると、我慢ならない。すべての能率が悪くなる。
その人にはとんだ迷惑だと思うが、そうなのだから仕方がない。
そして最近、気がついた。
僕が嫌いな臭いを出す人は、きっと僕の臭いも嫌いに違いない。
当たり前のことだ。なんで気がつかなかったのだろうか。
自意識がいつも過剰気味な僕は、それに気がついたとたんに、ますます僕の範疇にない臭いの人に近づきたくなくなった。
ああ、どうしよう。
2016年7月22日金曜日
釣り
祖母が勤めていた会社の保養所があった関係で、子どものころは年に1、2回、熱海に行っていた。
熱海に行くと必ずやっていたのは、スマートボール。ピンボールのようなゲームで、それだけが並んでいる遊技場があった。獲得した点に応じて、ぬいぐるみだとかの景品がもらえた。そういえば射的もあったな。
釣りもよくやった。今は人工の砂浜になってしまったが、その前は普通に桟橋がある港だったから、そこから釣り糸を垂らしてカワハギなどを釣っていた。
釣っていた、とは言うものの、釣り餌は自分でちぎって付けられなかった(ムカデのようなゴカイという生き物だ)。そして、釣れた魚は自分では怖くて触れなかった。何を間違ったかフグが釣れたときは、釣れた瞬間からぷっくぷくに膨れて怒っていたから、誰も触らなかった。
そんなことを思い出したのは、釣り堀を見たからだ。
これまでは電車の車窓から眺めることがもっぱらだった釣り堀が、今は職場の近くにある。釣りをやりたいと思ったらいつでもできる、そんな恵まれた環境に引っ越してきたわけだ。
頭をひねっても企画が出てこないときに、ちょっとここで釣り糸を垂らしてみたら、それまで思いつかなかった企画が、天の釣り糸から「これはあなたの企画ですか」と垂れてくるかもしれない。
それは蜘蛛の糸って話か。
いや、それも違うか。
2016年7月21日木曜日
25年。
『ど根性ガエル』の町田先生は「教師生活25年」が泣きの枕詞だった。僕は、教師生活を途中でやめてしまったから、憧れていた(笑)その言葉を使うことはできなくなった。
でも、気がついてみたら、社会人生活がすでにそれくらいになった。びっくりだ。
何にびっくりって、町田先生はもっと爺さんだと思っていた。
ところで今週から仕事場が変わった。自宅から3キロ、自転車で15分弱の永福町から、電車で30分の市ヶ谷に移った。
長い社会人生活で、電車で通勤した経験は2つ目の職場の2年間だけ。最初の7年は車だったし、今の職場ではずっと自転車だった。2つ目の職場を挫折したのは、どうにも通勤電車が我慢ならなかったからで、本当はそんな理由ではないのだが、ここではそういうことにしておく。
今回の電車での移動に、さて、どのくらい耐えられるのだろうか。
16年前の電車通勤と今とでは、社内での時間の過ごし方が変わった。Amazon Kindleで本は読み放題。ノイズキャンセリングイヤホンで、音楽は騒音に邪魔されずに楽しめるし、音声による英語学習もラクラク。
どれも自転車での移動では楽しめなかったことで、無駄な移動時間が増えたと思わずに、有効に活用することで、人生を無駄にしないようにしたい。
往復約1.5時間。睡眠時間を6時間とすると、1日の起床時間1割弱が移動時間になるわけで、つまり人生の1割がただの移動時間だとしたら、何もしないのは非常にもったいない。
せっかくなら、今までやらなかったことに時間を使ってみようと思う(本当はつり革で懸垂とかしてみたい)。
2016年3月6日日曜日
IN HOKKAIDO by Michael Kenna
渋谷西武でこの週末まで開催されていた、マイケル・ケンナの写真展を見てきた。そこで新発売の写真集「Forms of Japan」を見た。豪華な作りで、紙もいい。
買おうか迷った。
1 でも、1万3千円近くする(Amazonで調べたら9000円くらい)。
2 でも、その場で買えば、その日のサイン会でサインがもらえる。
掲載されている写真を見たら、いいと思った写真のほとんどは北海道で撮られたものだった。シンプルな造形を完ぺきに捉えた構図。美しい。
そこで、ふと思い出した。
「僕は彼の北海道の写真集を持っている」
家に帰って掘り出した。買って、一度見ただけで、袋に入れて保管したままだった。
でも、もらった思っていたサインが入っていない。前、銀座のギャラリーで写真集を買ったときに、サインをもらって握手をした記憶がある。ツーショットも撮った。
あのとき、僕はいったい何にサインをしてもらったんだろう。何か別の写真集を買ったのか。
そっちは未だに思い出せない。
ラベル:
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