2016年8月13日土曜日

記憶。


4年前の今日、僕がまったく記憶にないものを食べたとグーグル・フォトが教えてくれた。スマホで撮ったらしく位置情報が残っていたので調べてみたら、どうやら麻布十番の近くらしい。

昼の12時ごろにその場所で、何か得体のわからないものを僕は食べ、さらに午後には西府中にいたという(後者は息子の管弦楽部の発表会だった)。

SNSに写真をアップしてそのようなことをつぶやいてみたら、すぐに友人がその場所を探し当ててくれた――その店は麻布十番の「松玄」という店に違いない。

そこのカレーうどんに違いない。

いや、俺、カレーうどんは好きじゃないから食べない。

そう断言したものの、どうしても確かめてみたくて、今日、その「松玄」という店に行ってきた。

現地に近づいてみたら、みるみる記憶がよみがえった。

休日ではなく平日で、仕事の打ち合わせのあとにそこに寄ったこと。誰と一緒で、どんな天気で、そしてほかにどんな客がいたか(木梨憲武さんがいた)。

全部思い出した。

そして僕が食べたのは、カレーうどんだった。残念! 

でも、当時注文したものとはちょっと違った。ほら。



チーズが乗っているように見えるのは、気のせいか。

とはいえ、謎が解けてうれしかった。

ひと安心したのもつかの間、新たな疑問が湧いてきた。

脳の仕組みってどうなっているんだろう。

記憶は消去されたわけではなく、4年前の記憶はちゃんと残っていた。上書きされず、人知れず(というが僕が知らないだけで)脳の片隅に残っていた。

記憶が消えることがないとしたら、僕の脳みそにはどんな記憶が、すべてから切り離された状態で残っているんだろう。それを再生する装置がほしい。

記憶が上書きされるとしたら、どんなときに上書きされるのだろうか。同じか似た行為を繰り返したときか。

似た記憶は、脳の近い場所に自然とソートされるのだろうか。あとで取り出しやすいように。近い場所にソートされると、次第にそれがごちゃまぜになることはないのだろうか。

人の記憶は一体、いつぐらいまで残っていてるのだろうか。どの位の時間がたったらぼやけてなくなっていくのだろうか。

スイッチを入れたら、僕は赤ちゃんのころの記憶もひょっとしたら再生できるんだろうか。

自分の脳みそ再生装置がほしい。グーグルさん、頼んだ!

2016年8月9日火曜日

ココ。


ココ……ときたらシャネル、じゃない。

ココ……ときたらココナッツ。そう、僕はココナッツ石けんが好きなのだ。

大昔にタヒチに行った。ボラボラ島の美しい海や白い砂。遠い昔の記憶。豪華な宿に泊まったから、1週間で1人50万円。当時は飛行機代も高かった。

キャノンのフィルムカメラを担ぎ、慣れないカラーフィルターの実験をしたりしながら、自分が泊まった水上コテージを夕方に撮った。その写真はしばらく居間に大事に飾ってあったっけ。

そんな記憶を忘れずにとどめていられるのは、タヒチで毎日使っていたココナッツ石けんのおかげだ。今でもその香りをかぐと、南国のそよ風がよみがえる。

お土産と称して現地で自分向けに石けんを買い占め、スーツケースの隙間に詰められるだけ詰めて帰ってきた。

その石けんを使い切った後はインターネットの片隅、アメリカの田舎の雑貨屋が同じ石けんを扱っていることを発見し、どうしてもほしいから日本まで送ってくれと頼んだ。タヒチ発、アメリカ経由日本着。かなり豪華な石けんになったが、背に腹は替えられない。

しばらくはその、タヒチ発、アメリカ経由日本着のココナッツ石けんを使っていたが、一度切らしてから、しばらく使わなくなっていた。タヒチに直接注文できたらいいのにさ。

ところで、そのアメリカの雑貨屋さんは、石けんを3箱(1箱に3つ入り)注文すると、1つおまけでタヒチの石けんをくれた。

その石けんがこの前どこかから出てきて、久々にココナツ石けんを使いたいと思った。

探したけれど、同じブランドはなかなかない。あのアメリカの雑貨屋の所在もわからない。

いろいろ考えた末、アマゾンで見つけた、アメリカの雑貨屋さんがおまけでくれていたブランドのココナッツの香りを買ってみた。

こちらのブランドもココナッツの香りはしっかりするが、香りの種類が若干異なる。こちらの方がやや甘ったるい。でも、あの南国の記憶を思い起こすには十分。

まだ暑い日が続きそうだから、ココナッツの香りで、記憶の中の南国の青い海、白い砂を楽しみたいと思う。

2016年8月8日月曜日

考えてもみなかった。


まさか市ヶ谷から夕空を眺めることになるとは。考えてもみなかった。

いつまで続けられるは神のみぞ知る。

ところで今日の夕焼けを撮ったら、コンデジもしくはスマホで撮ったみたいな階調表現になった。一応、APS-Cセンサーを積んだCoolpix Aなんだけどな。困ったな。

縦にパノラマスティッチをやったからか。手振れを気にして感度をちょっと上げたからか。それでもISO400だけどなぁ。開放の解像がイマイチなのは前から知っているけどね。

今度はもうちょっと落ち着いて撮ろう。

2016年8月6日土曜日

几帳面。


道端に古新聞の束が置いてあった。紙袋に、これ以上詰めるのは無理というくらい、きれいにきっちりと入った新聞の束だった。

ある意味、アートだね。

持ち主は、紙袋にきっちりと詰まった分だけを回収に出したのか。部屋にはまだ、回収に出せない古新聞を詰めかけた紙袋が残っているのか。

律儀だな。

ついつい、じっくりと観察してしまった。

でも、回収に間に合わなかったのか、そもそも今日は古新聞の回収の日ではないのか。

午後遅い時間になのに、道端にたたずむ古新聞たち。

なんだ几帳面ではないのか、元の持ち主は。

残念。